詩篇 23: 主はわたしの牧者であって

1  
主はわたしの牧者であって、 わたしには乏しいことがない。

2  
主はわたしを緑の牧場に伏させ、 いこいのみぎわに伴われる。

3  
主はわたしの魂をいきかえらせ、 み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

4  
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、 わざわいを恐れません。 あなたがわたしと共におられるからです。 あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

5  
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、 わたしのこうべに油をそそがれる。 わたしの杯はあふれます。

6  
わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。 わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

Psalm 23 in Japanese

Psalm 23 in English

信仰を分かち合うには、あなたならどうする?

屋上に集まる友達

イエスと親しい交わりをしない友達や隣人、家族、同僚についてなのですが、どうしたら、その人たちと信仰を分かち合えるでしょうか?

とてもふさわしい箇所として、「大宣教命令」としても知られる、マタイによる福音書28章18-20節があります。

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

マタイによる福音書 28:18-20

原語のギリシャ語で「弟子として」に当たるところは、実は「弟子にしなさい」という命令です。ここでイエスは「弟子にしましょう」と提案されているわけではありません。差し迫った、現在も進行中の命令であり、そして大宣教命令の最も重要なポイントなのです。

大宣教命令を人生に適用すると、隣人を主の弟子とする三つの方法が分かります。

  1. 行く

  2. 「行って」に相当するギリシャ語の言葉は、継続的な行為を意味します。仕事や家を離れて行って、知らない人々に話しかけろという意味ではありません。

    むしろ、この動詞が示しているのは、日々私たちと関わる人々との関係を育むことによって、私たちは隣人を主の弟子とすることができるということなのです。職場の人、学校の人、スーパーで出会う人すらもです。イエスが言っておられるのは、要するにこういうことです。「あなたの人生を歩んで行く中で、私に従うように人々を導き、教えなさい。」

    続ける前に、「行く」ということが故郷を離れることを必ずしも意味するわけではないと知っておいてください。イエスは弟子たちに「すべての国民を」弟子としなさいと言われました。――と、同時にこの時それは、ユダヤ人の慣習として外国人と交際しないユダヤ人である弟子たちに向けて語っておられたのです。ですから、この命令は、故郷や近隣にいたローマの征服者たちや、エチオピアの宦官(かんがん)、そして彼らの街にいたサマリア人といった隣人たちに目を向けるよう弟子たちをうながしたことでしょう。

    つまり、イエスは弟子たちに、キリスト教は一つの人種、民族、または国のためだけのものではなく、すべての人のためのものだということを示されたのです。それはいつだってそうなのです。そして、私たちが日々関わる人々にこそ目を向けるようにと、差し迫った思いで神様は願っておられるのです。

    では、神様はあなたの周りにどんな人をおかれましたか?そして、今日どうすればあなたはその隣人に手を差し伸べることができるでしょうか?

    ヒント 始めるのに役立つようなヒントです。誰かに励ましの御言葉の画像をシェアしてみましょう。また、その人に何か祈ってほしいことがあるかどうか聞いたら、YouVersionの祈りのリストにその祈りを追加してみましょう。

  3. バプテスマを施す

  4. 「バプテスマ(洗礼)」と言ったとき、何を思い浮かべるでしょう。「人を水に浸すこと」?間違ってはいません!しかし、本来、バプテスマの目的は、内心の変化を外に示すことです。これは信仰の象徴的な表現と同時に、従順な献身と悔い改めの行為でもあります。ですから、人がキリストを信じキリストに従うと決めたときに、次にすることは洗礼なのです。

    イエスに従うとはどういうことかを率直に話し合ったり、神様についての質問に答えたりして、そして洗礼という肉体的な行為に招いたりすることで、人びとがその一歩を踏み出す決心をするためのお手伝いができます。

    バプテスマが重要なのは、それがイエスのなさったことであり、またイエスが弟子たちに人びとにバプテスマを施すよう命じられたからです。ですから、私たちはバプテスマにあずかることによって、イエスのように生き、イエスに従うことになるのです。この公の行いによって、キリストの死と復活にあやかり、過去の生き方を悔い改め、イエスの犠牲によって与えられたこの新しい永遠の命を祝うのです。

    ヒント 受洗を考えている人と交わるとき、このような質問をしてみることができます…

    • 自分にはイエスが必要だと信じていますか?
    • イエスを信じるとは、あなたにとってどういうことでしょう?
    • イエスがあなたのために死なれ、また復活したことを信じますか?
    • イエスに従うって、どういうこと?
    • 神様に過去の罪のゆるしをどのように求めましたか?
    • イエスをあなたの人生に招き入れましたか?
  5. 教える

  6. 何かを教えるときは、二つの段階が必要です。まず知識を与えること、次にそれを真似ることです。堅苦しくなくて良いのです。また大宣教命令によれば、私たちが行ってバプテスマを施すとき、こうしたことも一緒に行われます。

    心にとめておくべきことは、私たち自身が主イエスの命令に従わないなら、イエスが命じられたことを人々が守ることは期待できませんね。

    神の愛をみんなに知ってほしいですか?それなら神の愛をまず私たちがみんなに示しましょう。イエスの慈しみをみんなに知ってほしいですか?それならまず私たちが思いやり深くなりましょう。みんなに寛大に与える心を持って欲しいですか?それならまず私たちが、自分の財産の良い管理人になりましょう。みんなに御言葉を学んで欲しいですか?それならまず、私たちが御言葉を学ばないとなりませんね。

    誰かと一緒にお祈りをしたり、神の御言葉を学んだり、お金の予算を立てたり、そして日々の生活を生きるとき、弟子になるとはどういうことなのか考えてみましょう。

    ヒント 読書プランを一緒に完了できるように、友達を誘ってみましょう。リンクをタップして、読書プランを見てみましょう。

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究極的には、私たちの目指すところは、人々をイエスに従わせることではありません。ただ神だけが誰かの人生を変えられるです。それでも、私たちは意志を持って毎日を生き、まわりの人々とのつながりを深める機会を求め、神を知り、神を知ってもらうことの意味をみんなに示すことができます。信仰を分かち合うことは、命を分かち合うことであり、そうすることによって、私たちは弟子を作る機会を与えられるのです。

イエスに従うことの意味をもっと知りたい?

聖書の中から三つの方法を紹介します。

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自分の十字架を負って、わたしについて来なさい

自分の十字架を負って、わたしについて来なさい

イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

マルコによる福音書 10:21-22

それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

マルコによる福音書 8:34-35

また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

マタイによる福音書 10:38

生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

ガラテヤ人への手紙 2:20

それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。 人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。

ルカによる福音書 9:23-25

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。

ルカによる福音書 22:42-43

キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

ガラテヤ人への手紙 5:24

それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。

マタイによる福音書 16:24-27

わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

ローマ人への手紙 8:18

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。

ヤコブの手紙 1:12

神の言葉で神様とつながるとき、何が起こるでしょう?

地球

聖書を
すべての人に

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、……

ローマ人への手紙 12:2

心が新たにされ、人生において何かが変わったと感じたときを想像してみてください。もし、あなたがいつも聖書を読んだり聞いたりして影響を受けているなら、気づきを与え、勇気づけ、罪をも明らかにするその力を、間違いなく体験したことがあるでしょう。

今、かつてないほど多くの人々が、この体験をする恵みを与えられています。

聖書出版や聖書協会のパートナーの惜しみない協力により、YouVersionアプリは、現在2500以上の聖書本文と1000以上のオーディオ聖書を提供しています!

しかし、生きた神の言葉をもたらす翻訳された聖書がなかったら私たちの人生は、どうなってしまうのでしょうか?およそ10億の人びとは母語に翻訳された聖書全巻がひとつもないのです。

あなたにできること

また、聖書のパートナーは世界中の人びとが母語で聖書を読めるよう聖書の翻訳を後押ししています。そして、新しい訳が翻訳できると、すぐにデジタルライブラリにアップロードし、私たちはYouVersionコミュニティ全体と分かち合うことができるのです。

何が起こるでしょう?

スマートフォンや無線通信さえあれば、これまで母語の聖書を手にしたことのなかった人々が、瞬時に地球上のどこにいても、聖書を読めるようになります。「聖書をすべての人に」に寄付をするとき、あなたは、このことを実現する手助けをしているのです。

2033年に向けたビジョン

世界人口の95%
完全な聖書を持つ

世界人口の99.96%
新約聖書を持つ

世界人口の100%
少なくとも聖書の一部を読める

これらのことが成し遂げられるまで、私たちは働き続けます。

神様は、私たちに御子と御言葉を与えてくださいました。そのように惜しみなく与えてくださる神様をまねるとき、私たちは神様に近づくことができます。そして、このビジョンに参加する人が増えれば増えるほど、御言葉をすべての人により早く届けられるようになります。

あなたも、参加しますか?

寄付する

その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、……御座と小羊との前に立ち、大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。

黙示録 7:9-10

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「すべての人に聖書を(the Bible for Everyone)」 キャンペーンを通じて受け取ったすべての寄付は、聖書翻訳の目的に限定して、影響度の高いさまざまな翻訳プロジェクトに割り当てて使用されます。各プロジェクトが完了すると、残りの資金はYouVersionとそのパートナーが選んだ次の翻訳プロジェクトに割り当てられます。