神を知り、平安を見いだそう
想像してみましょう。あなたは1世紀のベツレヘムで羊飼いをしています。あなたを取り囲むのは羊だけ。人々は、あなたの仕事や身なり、身分のため、あなたに近寄ろうとしません。
あなたの家族は、何世代にもわたってこう語り継いできました。「神様は、これから良いことが起こる、と約束しておられる。」でも、あなたは疑い始めます。「それって本当なんだろうか?」そしてある夜、すべてが変わります。天使が現れ、あなたに救い主の誕生を伝えるのです。
インマヌエル、「神がともにおられる」が来られました。
のちに、この幼子が、十字架の上で死ぬことによって、人間のすべての罪を背負うことになります。そして、その犠牲のおかげで、私たちはどんなときも、どんな状況でも、神様と共に平安のうちに生きるよう招かれています。ですから、いま、犠牲となってくださったイエス様に、平安を与えてくださっているイエス様に感謝しましょう。
平安を求める祈り
神様、
人生がめちゃくちゃだと感じたときでも、イエス様が十字架でしてくださったことのゆえに、あなたの平安を自分のものとできます。そのために、あなたのひとり子をこの世に遣わしてくださったことを感謝します!イエス様のおかげで、あなたを身をもって知ることができます。
人生が手に負えないと感じたときも、あなたの平安は私の感情や状況にではなく、あなたの御本質と誠実さに基づいている、という真実が心の支えとなります。
私が平安を失っているとき、神様、あなたがともにいてくださることを思い出させてください。すべてはあなたの御手にあると、思い起こさせてください。この世が安全でないと感じるときは、あなたの力と慰めを与えてください。自分の感情や考えに潰されないよう、心と思いを守ってください。
あなたの御臨在を感じ、いつも近くにいてくださることを確信して生きることができますように。私の生き方が、理解を超えるあなたの平安を表すものとなりますように。
イエス様の御名をとおしてお祈りします。アーメン