はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
創世記 1:1-2
神の霊が水のおもてをおおっている状態とはどのようなものでしょう。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあった、とあります。「光あれ」 神様の言葉で、すべては一瞬で変わりました。光はやみをつらぬき、見えなかったものが、いまは、はっきりと見える。これが神の霊の働きです。神様は、いつだってあなたの近くにいます。いつだってあなたの傍におられ、かつてはやみにおおわれたものに、いつだって光をもたらしてくださいます。
聖霊はそこに居ました。イスラエルの民を導くために、荒野の中でモーセと共に。ゴリアテを倒すために、ダビデと共に。イエスが世に来られる預言を与えるために、預言者イザヤと共に。神の子として聖別するために、イエスと共に。そして、神の聖霊は、今、ここにも居ます。イエスを信じる人なら誰でも、聖霊の臨在を経験できるのです。
でも、それってどういう意味でしょう?聖霊の体験とはどのようなものなのでしょう?
すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」
使徒行伝 2:38
聖書全体が証(あかし)しています。聖霊は特別な人びとに力を与え、神の計画と神様の目的をみんなに思い起こさせます。何よりも、イエスの犠牲の死と、奇跡的なよみがえりはすべてを変えました。イエスを信じてはじめて誰もが聖霊の働きを受けることができるのです。
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
ヨハネによる福音書 14:16-17
イエスを信じる人なら誰にでも、聖霊は与えられます。聖霊の賜物を受け取ることで、神様を証(あかし)し、神様に栄光をおかえしする生き方をすることができるよう、神様が私たちを励ましてくれます。とくに、神様の近くに引き寄せてくださいと祈り求めるとき、神様の臨在をさらに感じることができ、生きる力をもらえます。たとえ死の陰の谷を歩もうとも、決して孤独ではないのです。吐く息よりも近くに聖霊がおられるのです。
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
ローマ人への手紙 8:26
過去や、今置かれている状況にかかわらず、あなたがキリストのものなら、キリストの御霊がどんな時でもあなたとともにあり、あなたを励まし、力づけて、あなたのために祈ってくれます。あなたのことを分かっているので、何があなたに必要なのかもご存じです。
神様はあなたをご存じだからこそ、あなたのために、そして神の栄光のために、働いてくださいます。これは、つらいことがなくなったり、困難に直面しなくなったりするという意味ではありません。しかし、試練の中にあっても、神様は聖霊の力を通して、あなたを神様の近くに引き寄せ続けてくださいます。
どんなに弱っていても、聖霊があなたがたのうちにいきるとき、神様があなたがたのうちでできないことは何もありません。
わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、…… わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。
エゼキエル書 36:26-27
神様の臨在から、あなたが離れることはありません。イエスをよみがえられた神の子として受け入れる決心をしたとき、あなたはそれに伴うすべての恵みを得るのです。そのなかには、聖霊が常にともにおられるという祝福も含まれているのです。
心を静めて、これらについて思いめぐらしてみましょう。
どちらの質問にも「はい」と答えられれば、神の聖霊にふれることができます。しかし、神様に近づくことと、神様と共に生きることは、まったく別のことです。
神様を愛し、神様に従い、イエスを主としてお迎えするとき、聖霊が私たちのいのちを生かします。こうしたことから、聖霊に満たされた人生を生きるためには、日々の暮らしのなかで神様を求め続けることが必要です。
神様との交わりをとおして、どうやって神様を愛せるのか、隣人を愛せるのか、またどうやって人にそうしたことを伝えられるのかを知ります。神様を知ることをとおして、聖霊の力、臨在、権威を身近に覚えるようになります。そして、聖霊の力をとおして、自分のj行動や選択したことが、神様や隣人との交わりにどのような影響を与えるのか分かります。
主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。
コリント人への第二の手紙 3:17-18
究極的には、聖霊はキリストの弟子となるすべての人に受け入れられ、そして神様があなたに与えられた人生を生きるよう、あなたを励ましたいのです。
もしあなたが聖霊に満ちた人生―神を愛し、隣人を愛する人生―を生きるには、どうしたらよいの知りたいならばガラテヤ人への手紙5章22-23節を読んでみてください。そして、準備ができたら、このブログの投稿に書かれた、御霊の実をとおして祈りましょう。
御霊の実をとおして、祈る。
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