「どうして、こんなことに?」

窓の外を眺める人

どんなことに直面していても、このことを知っていてください。たとえ自分にはわからなくても、神はあなたの人生に目的を持っておられます。

伝道者の書3章で、著者は、踊ること、悲しむこと、笑うことなど、すべてのことに時があると語ります。

この箇所には、人生の美しさとともに、人生にまつわる苦難も描かれています。これは、つらい時でも神が働いておられると信じられることを示しています。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。……それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」

伝道の書 3:11

神は私たちの理想とする時間軸を超えて働き、想像もできないようなすばらしいものを創造されます。

聖書は、私たちの良い経験も悪い経験も、すべてが神の御手(みて)にあり、神のタイミングは完璧だと教えています。

今はそう「感じ」ないかもしれません。でも、あなたが見えるかどうかにかかわらず、神はあなたの人生においてみわざを進めておられます。

今日、伝道の書3章を黙想して、神とそのタイミングを信頼できるよう神に求めましょう。

伝道の書3章を読む

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9月のおすすめ読書プラン

祈りの読書プラン

どうして自分の好きなように祈れないのでしょうか?

ある人たちにこの質問をしたところ、多くの人が祈りたいけれども、なかなか集中できなかったり、時間がなかったり、どこから手をつければよいかわからなかったりすることを知りました。

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誰かの物語の一部になろう…

笑っている人

「聖書はつまらないし、分かりにくいと思っていました。」

マーシャ(アメリカ合衆国)

神の言葉とかかわることは難しいですか?

マーシャは神さまを信じていましたが、それでも聖書を通して神さまとかかわりを持つのに苦労しました。

しかし、聖書アプリとその3,000もの聖書の訳を知ったとき、すべてが変わりました。さまざまな聖書の訳を比較することで、神の言葉は生き生きとしたものになったのです。

「神さまと神の言葉を読み、みことばに集中できるようになりました。もはや神さまを本の登場人物としては考えていません。神さまは本当に存在しています。神さまは私の父だと思いますし、神の言葉は現実のものです。」

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「私が何かすることが本当に大切なのでしょうか?」

人

自分の頑張りが誰にも気づかれなかったり、無駄だったと感じたことはありますか?

ダビデは聖書の中で、神が自分の心にかなう人と呼ばれた唯一の人物です。しかし、ダビデでさえ見捨てられたと感じることがありました。

神がサムエルにイスラエルの次の王に油を注ぐよう命ぜられたとき、サムエルはエッサイとその息子たちに会いました。みんな良い王の資質を備えているように見えましたが、神は誰も選ばれませんでした。

…しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

サムエル記上 16章7節

エッサイは、もう一人ダビデという息子がいて、羊を飼っていると言いました。当時、羊飼いは不潔で汚いとみなされていて、そのためその場に最初から呼ばれていなかったのでしょう。しかし、ほかの人たちは彼を見過ごしましたが、神はダビデをイスラエルの指導者として選ばれたのです。

ほかの人の目に入っていなくても、神はダビデを見ておられました。神が今あなたのことを見ておられるのと同じように。

平凡な羊飼いであるダビデを、神は偉大なみわざのために用いられました。そうであるなら、神はあなたをも用いられます。

誰にも見られていないときにすることは、神があなたを造られた者としてあなたを形作り、神があなたのために備えられた計画のためにあなたを整えるのです

ダビデのように、神へのあつい信仰を持ち続けましょう。たとえ自分が評価されていないと感じたときでも、神はあなたを見ておられ、愛しておられ、価値あるものとしてくださっています。このことを忘れないでください。

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「自分がこれで大丈夫って、どうすれば思える?」

太陽にかざしている手

アイデンティティと目的を探す世にあって、私たちは自分がすることや自分自身がこれで大丈夫だという確証を得たいと思いがちです。

でも、大丈夫かなんてわかりません。

周りの雑音が大きいと、神から目をそらし、神が私たちについて語っていることを忘れてしまいます。

どんな邪魔が入ったとしても、神の言葉を知っていれば、みことばが真実であると確信が持てます。たとえそう「感じ」られないとしても。そして、神の言葉はあなたについてこう語っています。

では、これで大丈夫だとどうしたらわかるでしょうか?

少なくとも自分自身を見るなら、大丈夫とは言いがたいでしょう。でも、それこそがイエスの福音の素晴らしいところです。

神はあなたの救いのためにイエスを遣わされるほどに私たちを愛し、価値ある存在として見てくださいます。自分自身は欠けだらけでも、イエスがいれば、私たちは大丈夫なのです。

自分の価値を疑ってしまうときは、思い出してください。神はあなたを創造されたお方だから、あなたのことを誰よりもご存じです。神があなたについて言われること、それだけで十分です。

今日、神の言葉と、神があなたについて言われることが真実だと信じられるよう、神に助けを求めましょう。

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