御霊の実を結ぶための9つの祈り

オレンジ

もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。

ガラテヤ人への手紙 5:25

もしあなたが、自分はイエスを信じている、そう思うなら、聖霊はいつもあなたと共におられ、神を愛し、隣人を愛する人生を歩めるようになります。しかし、いつでも聖霊と交わることができますが、聖霊に満たされた人生を歩むには、日々の暮らしのなかで神様を求め続けることが必要です。

神の御霊(聖霊)に罪をみとめ、試練に向かい、そして自分を変えてくださるようゆだねるとき、神様は思いや行動を変えてくださいます。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

ガラテヤ人への手紙 5:22-23

御霊の「実」は、それぞれ異なっていながら互いに結びついていて、神が人生のあらゆる側面を形作られているのだと、あかししています。

あなたの選択は、いつもあなたの心の持ちようを反映しています。ですから、すこし時間をとって、ガラテヤ人への手紙5章22-23節をもう一度読んでみましょう。そして、人生のどの部分を変えていただく必要があるのか、聖霊に示してもらいましょう。準備がととのったら、私たちと一緒に次のお祈りをしてみませんか。

愛を求める祈り

父なる神様、まことの愛の姿を見せてくださり、ありがとうございます。私が生きていく上で、聖霊に従っていないところを示し、あなたの愛の内に私を完全にしてください。私がわがままであったり、自己中心的であったり、すぐ怒ってしまうところを示し、これらすべてを、あなたにゆだね、こんな性格をあなたのご自身の愛に変えていただけますように。私をつくり変え、あなたが私を愛してくださるように、隣人を愛せるようにしてください。イエス様の御名によって、アーメン

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喜びを求める祈り

神様、いつでも御もとに行くことのできる恵みをありがとうございます。あなたがいつも共にいてくださるから、どんなときも真の喜びを体験することができます。しかし、あなたがくださる喜びは私の状況と無関係のはずなのに、絶えず喜びに満ちた人生を送っているとは言えません。いつも、あなたを信頼せずに、自分の問題次第で動いてしまいます。私をおゆるしください!あなたの喜びと平和で私を満たし、聖霊によって、どんなときも希望であふれさせてください。揺り動かされることのない喜びに満ちた人生を、送ることができますように。イエス様の御名によって、アーメン

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平安を求める祈り

父なる神様、私はしばしば自分がコントロールできない状況に追い詰められ、大切でないことに気をそらされてしまいがちです。あなたへの信頼が揺らいでしまう私を、おゆるしください。たとえ厳しい状況に直面したとしても、あなたは共にいてくださいます。あなたは平安を創造される御方であり、あなたに近づくならいつでも、平安に満ちた御臨在にふれることができます。だから、不安になったり落ち込んだりしたときには、聖霊の御声を消してしまうのではなく、あなたが豊かに与えてくださる平安で私の心と思いが満たされるよう助けてください。イエス様の御名によって、アーメン

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寛容を求める祈り

聖霊様、清い心を私につくり、隣人のもっとも良いところを見いだせるようにしてください。すべての人に対して、柔和に、敬意をもって、共感といつくしみの心で接することができるよう助けてください。人や状況が私の期待に反するものであっても、思いやりと理解を示す力を与えてください。いつも喜んでいられるように、また、必要なときに忍耐を示せるように、あなたの視点で物事を見られるよう助けてください。イエス様の御名によって、アーメン

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親切心を求める祈り

神様、いつも変わらない愛とあわれみを示してくださることを、ありがとうございます。あなたは素晴らしい御方です!主よ、私はすぐ怒ったり傷ついたり、嫌な気分になったりします。私の考え方や行動を変えてください。私は、あなたの御霊によって、ゆるされ、力づけられるからです。私を導き、進むべき道を示し、どうすればあなたが私にしてくださったように、隣人に親切にできるのか、教えてください。イエス様の御名によって、アーメン

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善意を求める祈り

聖霊様、あなたの臨在から逃げられる場所はどこにもありません!私を見つけてくださったあなたは、変わらぬ善意をもっておられ、私を離れることがありません。あなたは私を導き、助言を与え、いのちにつながる道を示してくださいます。あなたの善意を隣人と分かち合えるよう、今日、あなたの善意にもっと気づくことができますように。イエス様の御名によって、アーメン

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自制を求める祈り

聖霊様、私の口の言葉と心の思いが、あなたに喜ばれるものでありますように!あなたの招きにふさわしくない生き方をして、あなたを悲しませたくありません。そうではなく、節度のある落ちついた人生を送りたいと願います。こうすれば、あなたをほめたたえることになると知っているからです。だから、怒りや自己中心、ごう慢に身を任せそうになったときは、へりくだり、恵みをもって、隣人を自分よりもすぐれたものと考えることができるよう、助けてください。私の人生のコントロールを、あなたにゆだねます。イエス様の御名によって、アーメン

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忠実を求める祈り

神様、あなたはすべてのものを、ふさわしいときに美しくしてくださいます。あなたにとって、難しいことなど何もありません!あなたは忠実な御方であり、約束を守られます。しかし、状況が変わりそうにないとき、いつもこのことを忘れて落ち込んでしまいます。そんなとき、あなたはまだ働いておられるということを忘れてしまいがちです。聖霊を通して、私の思いや行いを変えてください。疲れてきたときは、あなたが共にいてくださること、忠実であられること、そして、今日私が信仰に満ちた人生を送るために必要なすべてを与えてくださっていることを、思い起こさせてください。イエス様の御名によって、アーメン

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柔和を求める祈り

聖霊様、あなたが私の名を呼び、御もとへ引いてくださることを、心にとめさせてください。そうして、どうすればあなたの招きにふさわしい生き方ができるのか、教えてください。わがままな野心で物事を行わないよう助け、どうすれば隣人を自分よりも優れたものと考えることができるのか、教えてください。他の人の間違いをすぐに正そうとするのではなく、まず気になることをあなたに伝え、あなたが教えてくださる方法で対応することができますように。私が隣人とする会話が、柔和と敬意で満たされていますように。そうして、何物も、人々が私を通してあなたを見ることを妨げることがありませんように。イエス様の御名によって、アーメン

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これらの祈りによって、励ましや気づきが得られましたか?いくつか、YouVersionの祈りのリストに保存してみましょう。今週一週間、祈りを通して意識的に神様に近づき、また、聖霊によって生き方を形づくっていただきましょう。

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詩篇 23: 主はわたしの牧者であって

1  
主はわたしの牧者であって、 わたしには乏しいことがない。

2  
主はわたしを緑の牧場に伏させ、 いこいのみぎわに伴われる。

3  
主はわたしの魂をいきかえらせ、 み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

4  
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、 わざわいを恐れません。 あなたがわたしと共におられるからです。 あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

5  
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、 わたしのこうべに油をそそがれる。 わたしの杯はあふれます。

6  
わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。 わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

Psalm 23 in Japanese

Psalm 23 in English

信仰を分かち合うには、あなたならどうする?

屋上に集まる友達

イエスと親しい交わりをしない友達や隣人、家族、同僚についてなのですが、どうしたら、その人たちと信仰を分かち合えるでしょうか?

とてもふさわしい箇所として、「大宣教命令」としても知られる、マタイによる福音書28章18-20節があります。

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

マタイによる福音書 28:18-20

原語のギリシャ語で「弟子として」に当たるところは、実は「弟子にしなさい」という命令です。ここでイエスは「弟子にしましょう」と提案されているわけではありません。差し迫った、現在も進行中の命令であり、そして大宣教命令の最も重要なポイントなのです。

大宣教命令を人生に適用すると、隣人を主の弟子とする三つの方法が分かります。

  1. 行く

  2. 「行って」に相当するギリシャ語の言葉は、継続的な行為を意味します。仕事や家を離れて行って、知らない人々に話しかけろという意味ではありません。

    むしろ、この動詞が示しているのは、日々私たちと関わる人々との関係を育むことによって、私たちは隣人を主の弟子とすることができるということなのです。職場の人、学校の人、スーパーで出会う人すらもです。イエスが言っておられるのは、要するにこういうことです。「あなたの人生を歩んで行く中で、私に従うように人々を導き、教えなさい。」

    続ける前に、「行く」ということが故郷を離れることを必ずしも意味するわけではないと知っておいてください。イエスは弟子たちに「すべての国民を」弟子としなさいと言われました。――と、同時にこの時それは、ユダヤ人の慣習として外国人と交際しないユダヤ人である弟子たちに向けて語っておられたのです。ですから、この命令は、故郷や近隣にいたローマの征服者たちや、エチオピアの宦官(かんがん)、そして彼らの街にいたサマリア人といった隣人たちに目を向けるよう弟子たちをうながしたことでしょう。

    つまり、イエスは弟子たちに、キリスト教は一つの人種、民族、または国のためだけのものではなく、すべての人のためのものだということを示されたのです。それはいつだってそうなのです。そして、私たちが日々関わる人々にこそ目を向けるようにと、差し迫った思いで神様は願っておられるのです。

    では、神様はあなたの周りにどんな人をおかれましたか?そして、今日どうすればあなたはその隣人に手を差し伸べることができるでしょうか?

    ヒント 始めるのに役立つようなヒントです。誰かに励ましの御言葉の画像をシェアしてみましょう。また、その人に何か祈ってほしいことがあるかどうか聞いたら、YouVersionの祈りのリストにその祈りを追加してみましょう。

  3. バプテスマを施す

  4. 「バプテスマ(洗礼)」と言ったとき、何を思い浮かべるでしょう。「人を水に浸すこと」?間違ってはいません!しかし、本来、バプテスマの目的は、内心の変化を外に示すことです。これは信仰の象徴的な表現と同時に、従順な献身と悔い改めの行為でもあります。ですから、人がキリストを信じキリストに従うと決めたときに、次にすることは洗礼なのです。

    イエスに従うとはどういうことかを率直に話し合ったり、神様についての質問に答えたりして、そして洗礼という肉体的な行為に招いたりすることで、人びとがその一歩を踏み出す決心をするためのお手伝いができます。

    バプテスマが重要なのは、それがイエスのなさったことであり、またイエスが弟子たちに人びとにバプテスマを施すよう命じられたからです。ですから、私たちはバプテスマにあずかることによって、イエスのように生き、イエスに従うことになるのです。この公の行いによって、キリストの死と復活にあやかり、過去の生き方を悔い改め、イエスの犠牲によって与えられたこの新しい永遠の命を祝うのです。

    ヒント 受洗を考えている人と交わるとき、このような質問をしてみることができます…

    • 自分にはイエスが必要だと信じていますか?
    • イエスを信じるとは、あなたにとってどういうことでしょう?
    • イエスがあなたのために死なれ、また復活したことを信じますか?
    • イエスに従うって、どういうこと?
    • 神様に過去の罪のゆるしをどのように求めましたか?
    • イエスをあなたの人生に招き入れましたか?
  5. 教える

  6. 何かを教えるときは、二つの段階が必要です。まず知識を与えること、次にそれを真似ることです。堅苦しくなくて良いのです。また大宣教命令によれば、私たちが行ってバプテスマを施すとき、こうしたことも一緒に行われます。

    心にとめておくべきことは、私たち自身が主イエスの命令に従わないなら、イエスが命じられたことを人々が守ることは期待できませんね。

    神の愛をみんなに知ってほしいですか?それなら神の愛をまず私たちがみんなに示しましょう。イエスの慈しみをみんなに知ってほしいですか?それならまず私たちが思いやり深くなりましょう。みんなに寛大に与える心を持って欲しいですか?それならまず私たちが、自分の財産の良い管理人になりましょう。みんなに御言葉を学んで欲しいですか?それならまず、私たちが御言葉を学ばないとなりませんね。

    誰かと一緒にお祈りをしたり、神の御言葉を学んだり、お金の予算を立てたり、そして日々の生活を生きるとき、弟子になるとはどういうことなのか考えてみましょう。

    ヒント 読書プランを一緒に完了できるように、友達を誘ってみましょう。リンクをタップして、読書プランを見てみましょう。

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究極的には、私たちの目指すところは、人々をイエスに従わせることではありません。ただ神だけが誰かの人生を変えられるです。それでも、私たちは意志を持って毎日を生き、まわりの人々とのつながりを深める機会を求め、神を知り、神を知ってもらうことの意味をみんなに示すことができます。信仰を分かち合うことは、命を分かち合うことであり、そうすることによって、私たちは弟子を作る機会を与えられるのです。

イエスに従うことの意味をもっと知りたい?

聖書の中から三つの方法を紹介します。

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自分の十字架を負って、わたしについて来なさい

自分の十字架を負って、わたしについて来なさい

イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

マルコによる福音書 10:21-22

それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

マルコによる福音書 8:34-35

また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

マタイによる福音書 10:38

生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

ガラテヤ人への手紙 2:20

それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。 人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。

ルカによる福音書 9:23-25

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。

ルカによる福音書 22:42-43

キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

ガラテヤ人への手紙 5:24

それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。

マタイによる福音書 16:24-27

わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

ローマ人への手紙 8:18

試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。

ヤコブの手紙 1:12