神様、信仰のあつい人たちをありがとう

父と娘

つらいときには気にかけ、元気なときには応援してくれる、すべてのお父さんたち……

一生懸命働くこと、頼りになることの意味を教えてくれた男の人たち……

タイムリーなアドバイスと、現実的にサポートをしてくれたお父さんのような人たち…

みんなを支え、励まし、勇気をくれるすべての男の人たち……

ありがとう、お父さん、神を畏れ、神を愛するとはどういうことかを見せてくれて。神様がみ顔をむけて、恵まれますように。あなたは尊く、そして神様に愛されています。

この特別な聖句画像があなたに力をくれますように。

箴言 20:7 聖句画像

今日、たとえ、あなたが父親であろうと、母親であろうと、先生であっても、学生でも、あなたの人生に良い影響を与えてくれたお父さんや、お父さんのようなあの人について、ふり返ってみましょう。そして、この聖句画像をシェアして「ありがとう」を送りませんか。ほんの一瞬で、尊敬と感謝の気持ちを伝えられますよ。

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人生を変えたいですか。寛大に生きましょう。

写真をみる男女

あなたの宝のある所には、心もあるからである。

マタイによる福音書 6:21

自分の時間や労力を費やしているものによって、自分が何を大切にしているかが分かるでしょう。

YouVersionのミッションは、神様との親しい交わりを多くの人々が毎日体験できるように手助けをすることです。どんな国の人も、どんな言語を使う人も、日々、神様と親しくなってほしいのです。YouVersionが祈りを分かち合い、ビデオの説教を配信し、聖句画像を更新する、その理由の一つは、世界のどこかにいる人が、神様の愛と真理を個人的な経験として生き生きと実感してほしいからです。

あなたのような人々が神様を知るのを妨げることをYouVersionは望みません。それがYouVersionがいつでも無料である理由の一つです。

わたしたちの願いは、あなたが神の愛を経験することです。すると価値観が変わり、寛大に生きられるようになるでしょう。

神様からもらったものを分かち合うとき、あなたは、神から離れてしまった世の中で、神の愛の生きた証となります。この神様との親しい交わりをとおして、他の人がさらに神様と親しくなれるようなチャンスをつくりませんか。

想像してみてください……。あなたの寛大な行動が、誰かに永遠の影響を与えるかもしれません。

寛大な人生を築く一つの方法は、YouVersionのミニストリーの経済的なサポートを通して行えます。そうすれば、永遠の価値をもつなにかに参加することができます。あなたも、世界中の人々が、神様の寛大な愛を体験できるように手助けできるのです。

そして、きょう。神様に、聞いてみませんか。神様から与えられたものを、どのように用いるべきなのか。そして誰かを祝福するために、あなたの賜物を何倍にも増やしてくださる神様の御業をみてみましょう。

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わたしは世の光である

わたしは世の光である

イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。


ヨハネによる福音書 8:12

暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。 暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。


イザヤ書 9:2

主はわたしの光、わたしの救だ、 わたしはだれを恐れよう。 主はわたしの命のとりでだ。 わたしはだれをおじ恐れよう。


詩篇 27:1

「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。


コリント人への第二の手紙 4:6

もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。


ローマ人への手紙 8:10-11

あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい―


エペソ人への手紙 5:8

しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。


ヨハネの第一の手紙 1:7-9

あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。


マタイによる福音書 5:14-16

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。


ヨハネによる福音書 1:5

クリスチャンであるとは?

湖の前で祈る人

あなたはイエス様に従う決心をしました……そして?

私たちはみな、クリスチャンとはこうあるべきという理想を持っています。しかし、正直なところ、私たちのものの見方は、往々にして、文化的価値観や政治、生い立ち、周りの世界で起こっている出来事の影響を受けています。もしこれらの外的な影響を取っ払うなら、イエス様に従う人とは、実際のところ、どのようなものなのでしょうか?

文化は変化し、価値観は移り変わりますが、神の御言葉はいつでも、クリスチャンであることの意味を明らかにします。

今日は、3つの御言葉を通して、イエス様に従う方法を理解しましょう。これらの方法はすべてを網羅したものではありませんが、日々、イエス様のように生きるとはどういうことか、あらましがつかめるでしょう。

神を愛する

「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

マタイによる福音書 22:36-40

この御言葉は、イエス様が旧約聖書のいましめ全体を簡潔に要約しているため、「いちばん大切ないましめ」と呼ばれます。そして、イエス様は、御自身の命を私たちのために捨てられたとき、このいましめを完璧におこなったのです

ここで重要なのは、このいましめが3つからなっていることです。神様を愛すること、隣人を愛すること、自分自身を愛することです。これらの行いは互いに結びついており、まず神様から愛されて、初めてできるようになります。神様の愛を受け入れるとき、神様を愛せるようになり、自分自身を見る見方が変えられます。そして、神様のレンズを通して自分自身を見るようになりますと、神様が私たちを愛するように、隣人を愛せるようになります。ですから、このいましめに従おうと思うなら、イエス様にならって、イエス様のように、神様を求める必要があります。

イエス様は、天の父とただひとり過ごされいつも時間をとって神様と語り合い御自分の望みより神様の御心を優先されました。

私たちにとっては、神様の御言葉を学び、祈りに専念するために、毎日決まった時間を割くようなものです。私たちは、天の父のところに何を持っていってもいいのです。神様に自分の感情をシェアしたり、自分の状況に介入してくださるようお願いしたり、共に勝利を祝ったりすることもできます。神の国を地上にもたらすために私たちにできることは何かを示してくださるようお願いすることもできます。神様の御前にタブーはありません。神様は、ただ、あなたと時間を過ごすことを願っておられるのです。

私たちが神様との時間を優先させるとき、神様がどのような御方であるか、神様が私たちに対してどのような望みを抱いておられるかが分かってきます。そうして、自分自身や隣人の愛し方が変わります。

そして、隣人を愛することを学ぶ最も簡単な方法の一つは、愛とは何かを学ぶことです。


隣人を愛する

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。

コリント人への第一の手紙 13:4-8

この御言葉は有名な愛の定義ですが、神は愛であるため、神様とはどのような御方かを示したものでもあります。ですから、私たちの生活が神様の御性質に沿っているか疑問に思うとき、この御言葉を基準として、自らの行いを吟味すればよいでしょう。

神様は私たちに対して忍耐強いですが、私たちは忍耐強いでしょうか?神様は私たちをゆるしてくださいますが、私たちは隣人をゆるしているでしょうか?神様は私たちの過ちを根に持っておられませんが、私たちは恨みを手放しているでしょうか?

私たちはいつも正しいことができるとは限りませんが、これらの質問を自分自身に投げかけることによって、自分が神様の方に向かっているのか、神様から離れているのか、を判断することができます。

もし私たちの思いが絶えずごう慢であるなら、私たちの言葉が絶えず人を傷つけているなら、私たちの行いが絶えず自己中心的なら、神様と隣人を愛するというイエス様の命令に従っているとは言えないかもしれません。そして、もし従っていないとするなら、私たちがイエス様のものであっても、それは必ずしも、イエス様に従っていることにはならないかもしれません。

感謝なことに、私たちは、イエス様と時間を過ごすことに心をかたむけるほど、よりイエス様のように行動するようになっていきます。


弟子を作る

イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

マタイによる福音書 28:18-20

イエス様は天に昇られるとき、従っていた人たちに、人々を弟子とするように語られました。ここで「弟子にする」と訳されているギリシア語はmatheteuoといい、「訓練する」ことを意味します。

イエス様は、「行って、人々を無理矢理にでも弟子としなさい」と言われたのではありません。「私はあなたに、私に従うことを教えてきました。あなたも、人生を歩む中で、人々が私に従うように訓練し教えなさい」と言っておられるのです。

それは、あなたにコーヒーを作ってくれるバリスタと仲良くなることかもしれません。誰かに食事をごちそうすることで、相手が大切な存在だと伝えることかもしれません。子どもたちのお世話をし、愛情をこめて接することかもしれません。

神様があなたの前に置かれるのがどんな人であっても、イエス様に従う意味を示しましょう。そして、あらゆる状況において、あなたの行いが、神様と隣人とへの愛に基づいているようにしましょう。

今週はどれに重点をおく必要があるでしょうか?ひとつ選んで、どうしたら日常生活で適用できるのか、神様に求めてみましょう。

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神を尋ね求めなさい……そうすれば見いだせます

あなたが今、どのような状況にあろうとも、神の御言葉の中に身を置けば、神様はあなたを御自身の愛に根付かせてくださるでしょう。そして、神様の愛に根ざすことによって、あなた自身と周りの世界の見方を変えられるのです。

あなたは今日、何を探していますか?

どんな疑問があっても、どんな答えを必要としていても、どんな希望を探していても、あなたのいるそのところから、読書プランを通して神様に近づき、御言葉によって、あなた自身と周りの世界の見方を変えていただきましょう。

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